魚拓の始まりは・・・?

学校給食がどこではじまったのか?

知っている人はそんなに多くない。
それは、現在実施されている内容が問題であり、
いつ、どこで
始まったかは、ほとんど関心が持たれないからだろう。
私自身もどこで始まったかに強い関心があるわけではない。

私にとっての釣りのシーズンが間もなく始まる。
平成15年の夏、佐渡で54cmの黒鯛を釣った。
それが写真と魚拓で残されている。
魚拓は、写真のない時代には、記録として貴重なもので
写真全盛の現在は、文化、芸術として生き続けている。

その魚拓が、学校給食と同じく、ここ庄内で始まったという。

庄内での釣りは、娯楽、趣味ではなく、武芸の一環として
庄内藩主が奨励し広まったのだという。
獲物の黒鯛は、武芸の戦果のひとつである。
城下から海まで、山越えの道で20kmほど。
庄内竿と言われる竹竿をかついで、夜中に歩き出す。
釣れるのは早朝。
一番良いポイントを占めるための努力で、
釣り場に立てば大物を狙って非常に重い庄内竿を振る。

現在は、車でどこまでも行く。竿もカーボンで軽くなった。
私自身は、釣りはストレス解消のためと思い定めていて
魚拓をとるような大物を釣る気はあまり無い。
とは言え、
結果とし魚拓をとりたいと思えるような魚が
釣れればなお幸いである。

(理事 岩浪)