災害救援活動報告(第1陣まとめ 4月2日~5日 4泊)

災害救援活動報告(第1陣まとめ 4月2日~5日 4泊)

〈報告者:木村玄太〉
◆メンバー:木村玄太、高山愛
◆「ブルー・シート」メンバー:
・角田四郎(角田さん)(災害ボランティアのプロ)
・角田圭奈(ケーナちゃん)(音楽活動)
・角田瑞乃さん(瑞乃さん)(角田家大黒柱)
・山口裕俊(山ちゃん)(音楽活動)
◆経緯
「個人ボランティア活動家集団ブルー・シート」の代表の角田さんから声がかかり、同行し活動させてもらうことになった。きっかけは中越地震の時に共に現地で活動し、コーディネートしてもらったことである。
◆活動範囲
岩手県 岩泉町、田野畑村、宮古市
(角田家が田野畑でライブイベントを起こしていた)
◆生活場所:
岩泉町「中里地区交流センター」
  
*朝食の様子。シェフは常に角田さん。完全にお任せ。


*寝泊りは体育館と車に分かれる。ストーブはあるが体育館の天井は高く、寒い。トイレ・台所は借りられた。電気も使えて、光熱水費は後で、支払うことになった。

◆4月2日(土)
◎11:00酒田発、18:30岩泉着
◎テント設営、物資搬入

*美しい岩手山☆


*物資と中里地区交流センター


*いわて岩泉産のお茶


*「民宿新田」にて夕食

◆4月3日(日)
◎物資仕分け、テント内設営

*ビフォー


* アフター

◆4月4日(月)
◎「岩泉町社会福祉協議会 ボランティアセンターにて」ボランティア登録
・このボラセンでは、町民しか募集しておらず、町民外ボランティアは受け付けていない。ブルー・シートは特別に受け入れてもらい、ボラセンからの活動の指示を受けるのではなく、独自に活動をしてよいということになった。ボラセンの手が届かないところに力を注ぐことになった。自由に動いていいということに大変驚いた。盛岡から来ている数名の大学生のボランティアが、ボランティア受け入れ手続き等を手伝っていた。
◎「岩泉町保健センター」視察
・被災者が洗濯できる場所があった。物資が溢れていた。後日、ニーズを把握したブルー・シートが軍手やお米を分けていただけないかと町役場に持ちかけたが、交渉は決裂。
  

◎「岩泉町民会館」視察
ここは避難所となっていた。体育館では子どもたちが遊んでいた。中高生が小学生やちいさな子と遊んでいた。
◎「町役場」に医療品物資の受取先がないか相談
注射器や介護用品・備品等あり、医師がいて、的確に活用してもらえるところを探していた。近くの老人ホームを紹介してもらい、無事に受け渡しができた。

◎岩泉町海沿いにある「小本」視察

*山のゴミを見て、津波の高さがわかる

  
*雑木林だったところに残った5本の木


*建物の被害を見て、津波の範囲がわかる


*山の木に引っ掛かっているゴミを見て、津波の高さがわかる


*消防団事務所にウエスを置いてくる

  

◆4月5日(火)
◎田野畑村「島越」でいも煮の炊き出し・物資提供。
民家を回りながら、片付けをしている人を探しながらの炊き出しや物資提供は、避難所での炊き出しと違い、非効率であり、楽ではなかった。また、提供できる人数も決して多くはない。しかし、一人一人と会話をしながら、必要なものを必要なだけ渡し、足りないものを個別・詳細に把握することができる。「復興しない町はない」と角田さんは被災者一人一人に励ましの言葉をかけながら回っていた。阪神淡路大震災、有珠山噴火災害、台湾大震災、三宅島噴火災害、新潟県中越地震と活動して人の言葉なので説得力がある。(もちろんその事情を知っている者だけの話だが)
◎ニーズ調査
住民の方と直接話をし、十分にあるもの、必要なもの、わかってくる。しかし角田さんは「ニーズは変わりやすい。今片付けをしている住民が多く、軍手が足りないが、ピタリと軍手が必要ない時が来る」と話していた。被災地の状況は刻々と変わり、ニーズの変化も激しいということを感じた。
◎危険個所へのテープ貼り
ガソリンスタンド跡等、火気厳禁の場所があるが、警告表示が簡易な場所がある。そこに角田さんたちが持参した黄色の「キケン注意」のテープを貼った。

    

    

◎「宮古市田老」で物資提供
  
*田老の街中へ向かう途中の沿岸

被害の大きさを見て、岩泉町・田野畑町の住民の方々が田老を心配していたことに納得。場所によっては、水道・電気が復旧していない。
様々な理由で避難所に避難できず、やむをえず、自宅で生活している被災者、いわゆる災害弱者も見受けられた。

◆4月6日(水)
◎小本で物資提供・豚汁炊き出し
2回目の訪問で、数名だけど、住民の方々と仲良くなれた。豚汁喜ばれるとやっぱり嬉しい。
◎避難所「田野畑自然大学校」へ物資の配達
2日に物資を届けた際に具体的な物や服のサイズを聞き出し、その物資を持って行った。今回、避難者同士で食事の用意をしていた。自立に向けた素早い対応に感動した。
◎「道の駅たのはた」でライヴ活動

*山ちゃん・愛の初セッションでスタンドバイミー

◎田野畑村羅賀

*ここには番屋が20軒ほどあったそうですが、きれいに、瓦礫すらありませんでした。(ブルーシートのブログでは、被災前、被災後の写真を
アップしています)

◎避難所「アズビー」にてライブ活動
  
*今度は3人でセッション。山ちゃんとケーナちゃんのユニットも熱唱。突然だったので、最初は観客がまばらだったが、その後集会と重なり、多くの人たちに活動を見てもらえた。

◎夕食を食べたレストランでも歌わせてもらいました。
  

◆その後帰宅。
☆中越地震の時に角田さんから教わり、心に留めていたこと
◎被災者がありがとうと何度も言い続けなければならないことのつらさを忘れるな。
◎自立を支援する。何でもしてあげてはダメ等。

◎災害救援活動報告(第1陣まとめ4月2日~5日)PDF