隣組長は、ボランティア?

現在のところ(塔和町内会)に居住をはじめて5年目

 

 1月から隣組長をやることになった。順番でやるので「まわってきた」と言ってもいい。構成は14世帯。子どもの居る世帯が一つあるだけで他は一人暮らしを含む高齢者世帯がほとんど。隣組長の任務は、町内会費を集め、市の広報や町内会の文書をまわす起点と終点になる。
 多分、「町内会」「隣組」の存在なくしては、行政組織は成り立たないと言っても過言ではない。寄付や会費に例をとっても町内会の取り組み方によって若干の違いがあるが、10指にあまる回数がある。集金、とりまとめを担う隣組長は交替でつとめるので、むろん無償。
 町内会の役員には、費用弁償という名目でほんの僅かの必要経費が支給されることが多いが、その町内会の役員が自らを称して「ボランティアみたいなものです」という場合が多い。それは、多分ほんの少しの金額しかもらっていないよということの表現だと思うが、隣組長はどうか。自ら立候補した訳でもない。隣組長という存在とボランティアについていくつかの原則(自主性か、社会性か、先駆性か等々)と照らし合わせて考えてみたい。

(理事 岩浪)