「山王ナイトバザール」に見る市民性

16年前のある一日(一夜というべきか)

 私は、鶴岡郵便局の前で古本を売っていた。「山王ナイトバザール」の呼びかけに応じた、小規模作業所「じゃがいも」の売り子としてである。「じゃがいも」のような団体から個人まで、今ほどではないが、かなりの出店があった。多分、もの珍しさもあってかお客様もかなり多かったと記憶している。
 だが、商店はといえば、ほとんど開店しないだけでなく、明かりも点かなかった(見える範囲でだが)。時々、店の人が歩道まで出てきて道路での賑わいを眺めていたことを、印象深く覚えている。一年目、ほとんどの商店はバザールに参加しなかった。
 2年目、相変わらず賑わいは続き、ぽつぽつと商店の灯が点き、自らの店の前に、商品を並べる商店が見えるようになった。3年目、多くの商店がそれなりの形で、バザールに参加するようになった。
 あくまでも、鶴岡郵便局の前から見ていての感じだから、すべて正しいとは言えないが、流れとしてはあまり違っていないのではないかと思っている。始まったころのことを、木村理事が書いている(7.15)。
「反対されただけでなく・・・・苦労した」とある。
 そこに、保守的といわれる、鶴岡の市民性を見ることができる。大雑把に言えば、新しいことはできるだけやらない。先の見えないことにはできるだけ関わらない。それが(新しいことが)定着してきて始めて参加する。それで今まで生き続けてきたのだから、決して間違いではない。しかし、間違いなく遅れる。「山王ナイトバザール」を始めたのも、勿論鶴岡の人で、市民性をわかっていたからこそ、継続し、変えることができた。
 今、鶴岡の市民性も変わりつつあると思っている。また、よそ者の先進性も認められつつある。「ぼらんたす」も「山王ナイトバザール」に学ばなければならないことが多い。先進性も、継続性も、柔軟性も。木村理事の言う「見習っていきたい」を大切にしたい。

(理事 岩浪)